地域共育に関わる多様な取り組みを
インタビュー形式で紹介します。
世代を超えた無理のない繋がりが地域共育を作る
下川町で暮らす子どもたちの多くは、学校と家を往復する日々。一人でくつろいだり、友達と過ごしたりする場所が、十分ではありません。
そこで、中高生が少しでも暮らしやすい地域にするためのニーズを探るべく、下川町教育委員会では年に二回、大学生インターンシップを実施し、中高生の居場所づくりや出会いと挑戦がうまれるきっかけづくりをしています。2024年の2月25日から3月2日までの7日間、4回目のインターンシップとして受け入れました。主なミッションは、10代の居場所づくりです。
今回、実際に参加した3名のうち、北海道大学農学部4年生(当時)の黒田峻平くん、黒田くん自身がつながり、地域共育を担う方々2名のインタビューを実施。
インターンの活動内容はもちろん、下川町だから構築できる共育の在り方や、黒田くんを起点に広がるネットワークが、どのように共育に影響を及ぼしているのかを伺いました。
馴染みのあるコミュニティを飛び出す理由を知りたくて
取材時は大学院に進学し、森林政策学研究室に所属していた黒田くん。中でも過疎地に移住した人たちのネットワークの構築に興味があり、下川町の事例に興味を持ちました。
「私は埼玉県出身で、高校時代は都内に住んでいました。進学と同時に札幌市に引っ越したため、私自身が移住者でもあったんです。大学へ入学する直前に新型コロナウイルスの感染拡大が始まって、キャンパスにも行けずに、進学早々、人と繋がることができなくなってしまいました。大学やコミュニティに馴染むのに、とても苦労したんです。
だからこそ、馴染みのあるコミュニティから出て、違う地域に引っ越す人たちの思いや背景に興味を持ちました。そんな中、大学の講義で移住者の受け入れを積極的に行なっている事例として下川町が紹介されていたんです」
その後、自分でアポを取り、下川町へ通うようになった黒田くん。町内のさまざまな人たちと知り合う中で「おかえり」と声をかけられることが増え、下川町に住んでいると思われて「家はどこにあるの?」と聞かれることも。
「東京には人がたくさん住んでいますが 一個人として見られていない感じがします。だから下川町に行くたびに『またあの人に会えるかな』『あそこにはあの人がいるだろうから挨拶しに行こうかな』と思い起こすこと自体が新鮮で。人と人との繋がりに、都会にはないあたたかさを感じます」
今でもなんて答えていいか分からない
下川町訪問も10回目に達する直前、教育委員会でのインターン募集を知りました。黒田くん自身、まだ下川町の教育現場に触れれたことがなかったため、地域の全体像をよく知りたいという思いから参加することに。他の大学生2名とともに、7日間を過ごしました。
「今回のインターンのテーマは10代の居場所作りだったので、中学生向けに、一日限定で誰でも自由に来れる『好きなものを語る会』を中学校の図書室で開催することにしました。数人くらいしか来ないかなと想定していましたが、実際は部屋がいっぱいになるくらい中学生が来てくれて。
嬉しかったんですが、例えば『今の下川町に何か新しく物や場所を作るとしたら何が欲しい?』と聞くと、カフェが欲しいとか、推し活がしたいとか、みんなで集まれる場所が欲しいとか。特に欲しいものがない子もいました。彼らのニーズを、どうやって居場所づくりに反映させるのか、むずかしさを感じましたね」
高校生向けには、卒業後の進路について話す「センパイ進路トーク」も設けました。中でも黒田くんが印象的だったのはスキージャンプの選手を志していた高校生。選手になる道を諦め、どのように進路を選んだらいいのかを相談され、言葉に詰まったと言います。
「なんて答えればよかったのか、今でもわからないままです。自分の中で引っかかって消化しきれていません……。現場にいないと、中学生や高校生を集合体で捉えて『中高生は、こう思っている』と一括りにしてしまいがちだと思います。でも実際は、一人ひとり考えていることも背景も、ぜんぜん違う。一つの結論に落とし込むむずかしさを感じました」
他にも、学校の先生から異動がある故の引き継ぎのむずかしさを聞いたり、みんなが集まる場に出てこない子どもたちの声をどう拾い上げるかを考えたり、必ずしも一筋縄ではいかなかった7日間。
しかし、だからこそ、人とのつながりの重要性を再確認するとともに、もっと下川町のことを知りたくなったといいます。
「私が物心ついた時から、既に日本の人口減少は始まっていました。人口が減る中で過疎地域がどう維持されるのか興味があります。下川町もそのモデルの一つになりうると思いますし、下川町が今後どうあるべきかを地域の方々がどんなふうに思っているのか話してみたいですね。
何回も下川町に通って研究していますが、その成果を町の人たちにも返したい。私自身、下川町の人たちとのつながりに助けられていますから」
インターンはきっかけ。巻き込み力の本領発揮
「下川町に住んでいないこと、研究成果を地域に還元できないことがコンプレックス」と話していた黒田くん。しかし彼自身、下川町のつながりを体現している一人でもあります。
2024年6月7日から3日間開催された第66回の北大祭では、下川町ブース「しもかわローカルストア」を出店するため、黒田くんがメンバー集めや運営に尽力。結果、特産品のトマトジュース「ふるさとの元気」500mlが420本、下川の手延べうどん250束が完売しました。
この取り組みの仕掛け人の一人は、下川事業協同組合理事の奈須憲一郎さん。黒田くんが「下川町と関連した催しを北大祭でやりたい」とFacebookに投稿したのを見つけ、連絡を取ったのがはじまりでした。
「黒田くんは、僕が所属していた北大の研究室の、遠い後輩にあたるんです。学生たちが研究の一環で下川町に来た時に、僕が書いた修士論文を読んで下川に興味のある学生がいると聞いていましたが、それが黒田くんでした。
SNSでつながってからはときどき連絡を取ったり、お互いの投稿を見たりしていて。黒田くんが北大祭で何かやりたいと書いていたのを読んで、すぐ『トマトジュースを絡めて何かやろう』と提案しました」
「僕は、あの人とあの人を引き合わせたらおもしろそうだなとか、これにあの人を誘ったら喜んでくれるのではないかと思ったら、すぐメッセージを送ります。そういう地道なコミュニケーションは、なかなか仕組みにならないけどつながりを作るうえでとても重要ですよね。
例えば下川商業高校の3年生が毎年、札幌で販売実習をしています。販売する日時は下川町にゆかりのある人にもどんどん告知するべきだと思います。もちろん今でも招待状を送付していますが、高校生には思いつかないネットワークを、大人が持っていることもあります。これから地域の人口減少が加速する中で、先が見えない地域より『何か起こりそう』と感じる場所に、若者は集まると思います。まめに連絡を取り続けることが、地域の未来につながるとも思います」
奈須さんが声をかけたのは、黒田くんだけではありません。下川町出身で、北海道大学に通う1年生の塚辺礼温心(れあん)くんも、小さいころからのつながりから、北大祭の出店に協力することになりました。
「奈須さんは下川町にあるお店『あそべや』を運営していることもあり、僕もよくボードゲームをしに行っていたので小さい時から知っていました。北大祭への出店は、自分の出身地が少しでも多くの人に知ってもらえるなら嬉しいなと思い、メンバーに入りました」
取材当時は、進学してまだ半年足らずの塚辺くん。札幌での新しい暮らしに刺激を受ける中で、地元である下川町をどう思うのかを聞いてみました。
「卒業後にしたいことや下川町に帰るかどうかは、まだ具体的には考えていません。でも漠然と教育に興味があります。中高生の頃、尊敬できる先生もいれば、ちょっと違和感を覚える先生もいました。自分ならどうするだろうと考える機会が増えて、徐々に関心が高まったのだと思います。それから、町内で仲が良かった大人の一人が『先生や親の意見がすべてではないよ』と話していたことが印象に残っています。学校と家を行ったり来たりするだけだと人間関係が閉鎖的になったり頭が凝り固まっちゃったりすると思います。でも、地域の人と関わると視野が広がると思いますし、帰省したら声をかけてくれる人もいて、札幌には無いあたたかさを感じます」
三人の話を通じて見えてきたのは、地域との細く長いつながりは、一方向ではなく多方面から時間をかけて育まれているということ。教育委員会でのインターンシップは、その一つの入口でもあります。
インターンをしている間だけでなく、活動期間が終わった後も、それぞれの視点で下川町を思い、地域の人と繋がり続ける意思がつながるのは、下川町と関わる人たちの巻き込み力と巻き込まれ力の賜物かもしれません。